鬼畜の大学時代(森脇ひかる自己紹介4/5)

さあ、素晴らしい高校生活を送った僕は、さらに都会へ出たいと関西に出る事になるのでした!
サッカーの強い大学で芝生でプレーしたいというのと、中学の先生の影響もあり、英語の教員免許は取りたいという思いがあったので、関西トップクラスのサッカー部がある関西大学へ進学しました!
そりゃーもう無い頭を振る絞って受験勉強頑張りましたよ!

ここでレギュラーで活躍して、あわよくばスカウトされてJリーグもとか考えてた当時の事は、
今となっては恥ずかしくて誰にも言えませんw
部員が170人いて、ゴールキーパーだけで13人もいました。
もちろんドベ争いでした。
そもそも最初は無期限の球拾いから始まって、入部さえも危なかったですねw
大きな挫折です。
元日本代表ゴールキーパーコーチが毎週やってきて、毎週リアルに吐きながらやってました。
逆に吐くまで追い込めてたのは僕しかいなかったんじゃないかと笑
ただ後輩は僕よりも早く正確に練習をこなして、息を乱さない。
かなりこたえましたね。
これは勝てないと、思ってしまいました。
今思えばそこまでの熱だったのかなと。
しかしながら途中では絶対に逃げ出したくないし、
サッカーではなかなか周りへ貢献できない。
じゃあなんだったらチームに貢献できるのかを考えてきた時に出た答えが、
応援でした。
1年の頃から、お前ええ声してるやんと、声だけは誰からも褒められてたんですね。
おかげで一発芸も何回もやらされまくりましたが笑
朝6時から160人の前で一発芸とかざらにありました笑→個人的に結構嫌いではなかったですがw
1年の頃から応援歌をソロパートで歌わせてもらう等、サッカーではない所ではポジションが確立されていたので、
これだな。という事で4回生の時には応援団長になりました。
となると不思議ですね。サッカーでは俺がNo.1だという錚々たるメンバーも、
応援に関しては全員僕のいう事を聞いてくれるんですね。

ここでの経験がその後から今にかけて生きてるんですね。
だから人前で恥ずかしがらずに一発芸もできるし、歌も歌える。神戸市長にもパクって頂けたので、もう公認という事で。笑
大学時代は正直挫折と大変さの連続でしたが、週7でやっていたサッカーによるメンタリティや、
生存競争等から学ぶ事は多かったと思います。
大学で4年間頑張ったからこそ、次の社会人への進路に繋がっていった事は確かな事だったなと思います。
さあ次回は森脇自己紹介ラスト、森脇就職します。
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