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【ヒカル応援団集会所】#006_土の文化・血の文化

押忍、ヒカル応援団長こと、「一回り離れた幼なじみ」シンです。

何度か紹介していますが、私は、株式会社レストレーションが運営するFacebookコミュニティ「ふるファンクラブ」で月に一度、22日(=ふるファンの日)に行っているオンライントークに参加しています!

今回は、この ふるファンクラブのオンライントーク でこれまでに語り合った ヒカルの「学校をつくろう」構想に関する内容の中から、特に興味深かったテーマにフォーカスしてお届けしたいと思います!

いきなり海外からも注目された「学校をつくろう」

2021年2月のオンライントークでヒカルが初めて「学校をつくろう」という話題に触れることを決め、そのことをふるファンクラブのFacebookコミュニティで告知したところ、すぐにオランダのアムステルフェーン在住鈴木秀匡さんが参加を表明してくださいました。

鈴木さんはヒカルのオンラインセミナーを受講されたことがきっかけでヒカルとの繋がりが生まれ、それ以来ヒカルのことを応援してくださっている方です。
鈴木さんご自身は、日本の企業・アメリカの企業、それも知らない人がいないほど巨大な企業で「人事」…でイメージされる業務というよりは「ヒューマンリソース」に関するお仕事をされてきました。ですから、お仕事柄「学校を卒業してきた」「教育を受けてきた」人材の「成れの果て」をたくさん見てこられた経験がおありで、また企業やプロジェクトの中でそういった人材をさらに育成していくということを常に考えておられる方なワケです。

そんな鈴木さんは、教育環境の違いによって育まれる人材像が異なる点や、今グローバルに活躍している人材像にも注目されています。

土の文化・血の文化

特に鈴木さんが生まれ育った日本と、現在お住まいのオランダ(ヨーロッパ)を比較して、非常に興味深い、文化の違いについてお話ししてくださいました。

それが、「土の文化・血の文化」というわけです。
いわゆる「血と土 (ドイツ語: Blut und Boden、英語: Blood and Soil)」というと、ナチス・ドイツの原理にもつながるイデオロギーでもありますが、今回はより概念的な、文化や家族のあり方の比較としての「土の文化・血の文化」のお話です。

土の文化

日本は古来より、「土地」をベースとした生活を営んできました。
奈良時代に「墾田永年私財法」によって自身の開墾した土地の私財化が認められたり、鎌倉時代には武功に応じて領地が与えられたり、一族の繁栄は土地と共にあり、土地を継承することがすなわち家系の継承でした。

私・シンの家系も、先祖代々伝わる田や山を守り、祖父の代までは米を作り乳牛を育てる酪農に加え、野菜を育てたり炭を焼いたり、正に「百姓」という生活を代々続けてきた「はずです」

田舎に住んでいる人だけに限らず、日本人は「ふるさと」や「地元」という言葉に何かしら特別な意味を感じ、尊重しているのではないでしょうか。
東京で働き、家庭を持っていても、退職とともに地元に帰ってきてのんびりと暮らす、という人は多いです。
それに、生まれ育った土地を離れて移住したとしても、「子育てするのに最良の環境だと思って」という理由だったりして、図らずもその土地に根を下ろした新しい「土の文化」を見据えているケースはよくありますよね。

また、地元を離れた遠くの職場や学校に在籍している時や旅行先などで同郷の人に出会って、妙に親近感を覚えたとか、とても安心したという経験をしたり、そういう話を聞いたりしたことはありませんか?
大きな企業や大学だと「〇〇県人会」のようなコミュニティを作って、定例で集まって食事をしたりレクリエーションをしたり、という活動が行われていることがあります。

そのぐらい私たち日本人にとって「どこで生まれ育ったか」ということは大切なアイデンティティであり、近いアイデンティティを持つ人に抱くシンパシーも、土地の影響を強く受ける、という傾向があるということです。

このように、「土地」を基本とした家族のつながりや社会のつながりをつくっているのが「土の文化」です。

血の文化

「土の文化」と異なる「血の文化」ですが、これも文字どおり「血縁関係」がベースとなる家族や社会の捉え方です。
「土の文化」を持つ日本人にはイメージしづらかったり、説明するための表現に悩む部分があったりしますが、これは自身の土地が侵略されたり、民族が迫害に遭ったり、大移動を余儀なくされたりした人たちが特に有しており、受け継いでいる文化です。

例えばユダヤ人(ユダヤ教徒)は、その歴史で何度も迫害に遭い、自分たちの「土地」を持つことがほとんどありませんでした。そのような激動の歴史の中を生き延び、活路を求めて他の土地に移住し、また侵略に遭い…という歴史を繰り返している家族もあるわけです。

ですから、ユダヤ人の子どもたちは幼い頃から、

「いいかい、6代前のご先祖誰々が、〇〇人からの迫害を逃れてどこそこに移り、そこで仕立て屋を始めた。ところが19XX年に〇〇戦争が起き、戦禍を逃れて、お前のひいひいお爺さんが幼いワシや家族を連れてこの土地にやってきて、同じように仕立て屋を始めたんじゃ…」

みたいな話を繰り返し聞いて育つのだそうです。会ったこともないご先祖様の努力や功績を聞き、「ご先祖様の苦労のおかげで今の自分がある」というのが彼らのアイデンティティの源になっています。

中国にルーツを持つ人にもこのような「血の文化」の傾向は見られるそうです。
遊牧民的な生活をする民族があったり、支配者が目まぐるしく入れ替わる歴史を歩んできたこともあってか、土地に執着することなく、彼らは世界中の様々な国にチャイナタウンを形成してきました。

私が「血の文化」の概要を聞いて思い浮かべたのはディズニーのアニメ映画「リメンバー・ミー」でした。

メキシコには「死者の日(Día de Muertos)」という、日本の「お盆」のような、先祖の霊が「死者の国」から家に帰ってくるとされる日があって、その日、家の祭壇に家族によって生前の写真が飾られていないと帰ってくることができない(作品中ではコミカルに死者の国の「出国ゲート」をパスできない、という表現になっていましたが…)とされており、死者の国では「現世」に自身のことを覚えてくれている人がいなくなる(完全に忘れ去られてしまう)と、死者の国からも存在が消えてしまう「2度目の死」が訪れる、という観念がストーリーの前提となっていました。

主人公の12歳の男の子は、死者の国に迷い込み、ガイコツの姿になった先祖たちに出会っても、祭壇に飾られていた写真の面影からスラスラと名前や自身との関係を確認していく様子が描かれていて、この家族では先祖へのリスペクトがどれだけ当たり前のことなのか表現されています。

土地の記憶によって受け継がれる「土の文化」と、先祖から子孫へ語り継がれる「血の文化」

例えば私・シンは、祖父より前の先祖が何をしたのか、全く知りません。先に『百姓という生活を代々続けてきた「はずです」』と敢えて「」をつけていたのはそういう意味で、先祖の名前すらろくに聞いたことがありません。ただ、ウチには先祖代々守ってきた田があり、山がある…祖父の頃突然降って湧いたものではなく、先祖が少しずつ拡げ、耕し続けてきた土地が…。

長男である私は幼い頃に祖父から「おまえはウチの跡取りだからな」と言われて育ったその中に、ハッキリ言われたわけではないけれど、この田や山をいつかは受け継ぐんだ、という「約束」を感じていました。

一方で祖父は第二次世界大戦に出征し、戦後しばらくは捕虜としてシベリアに抑留されていましたが、当時の男の多くがそうであったように、祖父はあまり戦時中・戦後のことは話さなかったそうです。祖父が亡くなった今、これ以上祖父の体験を知ることはできないし、数少ない祖父の話を親父が私に語り継がない限りは、数十年後には祖父のことを知る人間はいなくなってしまいます。

その時、祖父に「2度目の死」が訪れる…。
そう考えると、胸が苦しくなります。

ヒカルの学校と「土の文化・血の文化」

この「土の文化・血の文化」の概念は、ヒカルの学校でしっかり取り扱ってほしいテーマだ…!と強く感じました。

最近ヒカルと話す中でも、私たちの郷土愛の基本は豊北町の「自然」とか「海の幸・山の幸」とかではなく、やっぱり「」だよね、ということを再確認したところです。

例えば豊北町で育つ子どもたちに、美しい海や川、山から眺める素晴らしい景色を見せるだけ見せて、その素晴らしさを説いたとします。きっと子どもたちは、「豊北町の素晴らしい自然」を ふるさとの誇りとして頭では理解するでしょう。
そしていずれ、その「素晴らしい自然」を有する豊北町が廃れていってしまう未来がやってきた時、大人になったその子どもたちは、その現実を悲しむでしょう。

でも、ただそれだけです。
真のアイデンティティにはつながりません。

先の例を修正してみましょう。

美しい海を大切に残したいと思っている豊北町の大人たちが、夏は毎週のように子どもたち皆と一緒にマリンスポーツを体験させてくれて、海洋ゴミについてレクチャーしてくれた。友だちと山でデイキャンプをしたり、ツリーハウスを作ったりして遊んだ。という体験を、地域ぐるみで行ったとしたらどうでしょう。

廃れそうになっている「豊北町」の「素晴らしい自然」の向こうに、自身の楽しかった思い出や、豊北町を想っている人たちの顔が浮かんでくるはずです。

まちと一緒に、自分たちの大切な思い出まで消えていってしまう、それを悲しんでいる人たちが思い浮かぶ…という感覚に居ても立ってもいられなくなってしまうでしょう。
これがアイデンティティの証明だと思うんです。

私たちの「家族」に対するアイデンティティはこれまで「土の文化」で成り立ってきました。

「土の文化」の明確な定義を知らないので微妙なのですが、「あの場所に行けばこの人に会える」「この場所であの友だちと遊んだ思い出」というのが行動のモチベーションになるのは「土の文化」でしょうか。

地域に対して、「あのオジさんが必死で守ってきた海を私も守って行きたい」というのが行動のモチベーションになるのは「土の文化」でしょうか。

いずれにせよ、真のアイデンティティを育むのは、単純な「環境」ではなく、その環境の中で日々、1分1秒ごとに心に刻まれる「思い出」であったり、それを一緒に体験する「人間」であったり、そこで共有する「想い」であったりするわけです。

ヒカルの学校では、ぜひこの辺りの哲学を「土の文化・血の文化」を用いてしっかり学び、実践できるカリキュラムがあってほしいな…と思います。

アイデンティティ論」とか、なんかそんな格好良ェ科目名で!

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