【アンサー記事】ヒカル流「火事場の馬鹿力 」から得た まちづくり のヒント
押忍、ヒカル応援団長、童拳坊主のシンです!
毎月22日に続けているヒカルとの「ふるファンクラブ」のオンライントークでは、特にあらかじめテーマを設定しているわけではないのに、毎回エキサイティングな展開になり、「オォ〜なるほど〜!」「ソレ新しいなァ…‼︎」と感嘆しまくりです。
2022年2月22日は、語呂合わせで「ニャン」と発音できる「2」がいっぱい並び、例年でも2月22日は “ニャンニャンニャン” で「ネコの日」と呼ばれているのに今年は「スーパーネコの日」なんて呼ばれていたみたいですね。
そんな脱力感全開の日でも、恒例のオンライントークは熱く盛り上がりました!
今回もヒカルは絶好調!名言も飛び出し、ヒカルがこれまで経験してきたことがしっかり現在の事業や今後のビジョンに活かされていることがよく分かりました。
浜出祭
ヒカルより先にわたしの話になっちゃうのですが、わたしは地元で「童拳坊主(どうげんぼうず)」という “ひとりまちづくり団体” をやっておりまして、その活動のひとつとして、地元・下関市豊北町に700年以上続く 7年に1度の奇祭「浜出祭」を伝承することを柱として掲げています。
「浜出祭」についてはこちらの記事をご覧ください。
2018年に開催された前回の浜出祭を振り返った記事です。ヒカルも参加しています。
また、浜出祭の始まりについては諸説ありますが、元寇、それも1281年の「弘安の役」をきっかけに慰霊・鎮魂の祭事が起源となったとする説が有力です。
それで、わたしはこの浜出祭を伝承するために、先日 浜出祭の生き字引き といえる “達成さん” という長老を訪ね、インタビューさせていただいていたのですが、そのことについて今回のトークでヒカルに「どうだった?」と尋ねられたんですね。
それで、これまで達成さんがひとりで準備のほとんどを引き受け、統括して成立していた浜出祭が、様々な環境の変化や、ご高齢の達成さん自身の体力の衰えなどから、次回2025年の開催についても既に一筋縄にはいかない雰囲気が漂っていることを伝えました。
浜出祭は、鎌倉時代の武家やお供の衣装をまとい、30頭の馬に乗った神官や花巫女、「将家(しょうが)」という武家の子どもを含む200名近い行列で山から海へ14kmの道のりを、神輿も担いで歩いて移動し、神事を行う祭りです。
その準備の中でも特に大変なのが「馬の手配」なのだそうです。
馬は、競走馬や馬術競技の馬では素人や子どもを乗せて1日かけて歩くということに耐えられないそうで、観光地で客を乗せて引き馬をしているような馬を揃える必要があるのですが、最近そういうところも少なく非常に苦慮しているとのことで、なるほど大変だということは理解できます。
ところが、次いで「人の手配」も難しくなってきていると聞いて、これにはヒカルもわたしも驚きです。
だって、珍しい衣装を着て、沿道のギャラリーに見守られながら、交通規制された道路を悠々と歩き、そこかしこでお神酒を振る舞われ、楽しくて仕方ない、7年に一度のお祭りなんです。
わたしたちは、浜出祭に参加できることはこの地区に生まれた者の特権で、誇らしいことだと信じていて、たとえ過疎化が進んで人が少ないといえども、浜出祭のために帰省しよう、子どもをぜひ将家にさせてほしい、って人ばかりだと思い込んでいました。
それが、実際は14kmも歩くのはちょっと…っていう人が多くて、浜出祭実行委員会の達成さんらが参加をお願いに行くと、難色を示される方が回を追うごとに増える傾向にあるというのです。
また、行列の役によっては、神事の際に努めなければならない役割があって練習が必要だったり、浜出祭のために寄付をする習慣があったりで、やりたくもない祭りに参加させられて、金まで取られる、という感覚の方もおられるとのことです。
高知の「まちの商店街」
達成さんから話を聞いて受けたショックをそのままヒカルに話したところ、ヒカルは ヘェ〜 、と驚きはしたものの、リアクションは意外なくらい冷静で、むしろその様子にわたしが驚いてしまうほどでした。
そしてヒカルが話し始めます。「シンちゃんあのね、オレがこないだ講演させてもらった時の話なんやけど…」
住宅関係のローカルな企業で、大手をおさえて地元では1位という会社で講演したヒカルに、こんな質問が投げかけられたそうです。
「ショッピングモールとかできていく中で『まちの商店街』って必要なんですかね…?」
【それを聞いたシンの脳内】
…エ!? オイオイオイ〜、なァ〜にを寂しいコトを、チミィ…!昔ながらの「まちの商店街」にしかない魅力もあるでしょう、そういうところをしっかり商店街で見直して、アピールして盛り上げてくんでしょう、これからはむしろそういう付加価値的な部分が…
とかね、そういう熱い答え、返してあげたんでしょ?とわたしは一瞬でタカをくくり、続く言葉を待ってたら、ヒカルはこう続けました。
「まぁ、オレ的にもね、『需要がないから廃れる』と思ってるワケで…」
ワァオ!まさかの超ドライな見解。
質問したのはローカルな会社で地域に密着して貢献し、成長している会社の社員さんで、少なからず「まちの商店街」の未来を憂えて、できることならなんとかしてあげたいと思っている人なんですよね。
しかし、だからといってただ熱いだけの答えを待っているわけではない。
真剣に、ヒカルがこれまでの経験を通して感じたリアルな温度のリアルな現実を聞かせてほしい。
その思いにヒカルが答えます。
「『まちの商店街』には需要がない。それならそこに需要を作るぞ!」
という思いで本当に需要を作れるなら、そういうところは残っていく。でも、
「『まちの商店街』がなくなってしまう、そんなの寂しい…なんとかしなきゃ! 」
という思いだけでは解決することはできない…!
「マーケティング」と「販売」の違い
これはわたしが先日違うセミナーで学んだ「マーケティング」と「販売」の違いでも説明できます。ビジネスを立ち上げる時に大切な視点は「マーケティング」です。
それぞれの言葉の意味をイメージしてみましょう。
「みんなが『欲しい』と思っているものをつくって提供する」のが「マーケティング」で、
「自分が『売りたい』と思っているものを売る」のが「販売」だそうです。
だから、「まちの商店街」にはこんな魅力があります、みなさん「まちの商店街」で買い物してください! というのは「販売」なんですね。
「需要を作る」というのは、「みんなが『欲しい』と思っているものをつくる」と言いかえられます。つまりこれが「マーケティング」そのものということです。
これまでの「まちの商店街」を上回る「みんなが『欲しい』と思うようなモノやサービスや何か」がショッピングモールにはある。だからみんなショッピングモールを利用しているんです。
シンプルに「安さ」なのか、一ヶ所で全て揃う「便利さ」なのか、「立体駐車場」なのか…
それ以上にみんなが「欲しい」と思っているものが「まちの商店街」に作れるか。
ここがポイントになってくるわけですね。
経済活動の血液がお金なら、消費者の「お金を支払う」という行動は、言うなれば出血です。出血…痛みを伴う行為に対して、できる限り価値の高いリターンを求めたいというのは当然です。
ヒカルの意見に、講演を依頼した企業の社長さんも納得され、言葉を付け加えます。
「地元の人は地元の会社には お金を払ってくれんよ」
圧倒的な体力とスケールで地方のまちにドカーンと着地する大企業の巨大な資本これはなにも小売に限ったことではなく、様々な業界で起きている現状でしょう。
そんな中でローカルな企業がガチンコでわたりあって、勝ち続けるということは並大抵のことではない。ヒカルに講演を依頼したこの企業はすごいなァ…と思わざるを得ません。
まちづくりにも置き換えられるロジック
浜出祭の苦戦を話したら、思いがけないエピソードが飛び出しました。
さすがヒカル、引き出しが…というか、ポケットが多い感じです。
というのも、ヒカルは自ら出かけていって、いろいろなことを吸収して、それをすぐアウトプットするので、いちいち家の引き出しにしまってないイメージ。
外で見つけた宝物をポケットにしまって、またすぐ出かけた先で「アッそういえばこんなものが」ってすぐ出してくるイメージなんですね。
さぁ、そんなワケで、
「センチメンタルじゃメシは喰えん」
ワケですよ。浜出祭が廃れていく…なんとかしなきゃ、みんなに大切さを訴えなきゃ、という「想い」だけでは事態は好転しない。
悲しいかな、時代はうつり変わり、浜出祭にかける情熱は昭和あたりに取り残されてしまいました。これが現実。
ここまで追い込まれたなら、これまでどおりの「浜出祭の販売」をしていてもダメで、浜出祭を存続するための「マーケティング」が必要になってくるワケです。
ヒカルもこれまで、自身の事業で何度も窮地に立たされ、その度にピンチを乗り越えて成長してきました。この経験を振り返ってヒカルは言います。
「火事場に行かないと馬鹿力は出ない」
オッ、オゥ…。
まさかの名言、出たなァ…。
「日頃のネズミはネコを噛まない」…イヤ、違うな…。
なんでもない時に自身の限界を超えたスーパーパワーを期待してもそれは本当の意味では発揮されない。
もう後がない!という絶体絶命の状況ではじめて信じられない力や常識をひっくり返すようなアイデアがひらめくもの…という、実にヒカルらしい境地です。
誰も望んで窮地に立とうとしないでしょうから、そこを少しフォローするならば、どんなピンチに立っても、あきらめてはいけない。これまでの経験を信じて必死で切り拓こうと頑張り続ければ「馬鹿力」が発揮できるんだ!という風に解釈できます。
それから、ヒカルには当たり前すぎて言及されてないんですが、「火事場」にブチ当たる前に「馬鹿力」の燃料となる知識やスキル、考え方は日頃から蓄え続けてないと話になりません。
火事場の馬鹿力というものは、なんにもないところから魔法のように湧いて出るものではないと思います。
日頃からまじめに、コツコツと集めてきたパズルのピースのようなカケラが、窮地に立った時に頭がフル回転してギュルルルーン!と考えたことのない形に結びついて、ピンチを切り抜けるための武器をかたちづくる、そうであってほしいです。
ちなみに、ヒカルもこの名言を自身のブログに記しています。
この記事がヒカルのブログに対する「アンサー記事」みたいになってるのが非常に照れくさいですね…!
ちなみに、ヒカルのこの記事をよく読んでみると
「そういう環境(=火事場)を自分にプレゼントしてあげる」
という狂気の表現がされてます。
さっきわたしは「誰も望んで窮地に立とうとしない」という点をフォローしたつもりでしたが、ヒカルの体育会系マゾヒストっぷりはそんな概念を飛び超えてました…!
ヒカルの軌跡を完全にトレースするのであれば、むしろ積極的に自らを追い込む精神も必要ということです!
田舎だからこそ
さぁ、というワケで、浜出祭をマーケティングしていかなければなりません。
ここで早速、ヒカルから新しい視点を授かりました。それは
システマチックに効率よく
という視点です。なんとなく、ノホホ〜ンとした雰囲気、のんびりペースが田舎の良いところでもあるので、それに合わせたやり方を考えてしまいそうだし、私もそう思っていましたが、そればかりでは「成るものも成らない」ということもあり得ます。
マンパワーの少ない田舎だからこそ、徹底的にルールや仕組み、マニュアルを整備して、「誰でもできる」環境を作るとか、
資金面でも地元だけで工面できないのであれば、あらゆる制度やクラウドファンディングなどを活用して引っ張ってくるとか…
ある意味これまで田舎では嫌がられる傾向のあった、ゴリッゴリにビジネス感を打ち出したストロングスタイルで引っ張っていくことを、むしろ田舎だからこそ意識し徹底していく時代では…と。
で、これを全く外から持ち込むだろうけど、中にいるわたしが、同じく中にいるメンバーをうまく鼓舞して進めていく…
そして成功させることでわたしのスタイルがはじめて認められ、受け入れられる…!
オォ、これはヒカルの歩んできた軌跡に重なる部分がありますね。
せっかくの「アンサー記事」なので、ヒカル流の視点をもういっこブッ込むなら、その火事場の馬鹿力ストロングスタイルの「スタイル」の部分、つまり戦い方とか相手です。
どんどん人が集まって競争が激しくなってやばい、頑張らないと他人に負ける、という危機意識が出てゴリゴリ経済が生まれていくのが都会的火事場の馬鹿力スタイルとすると
人が居なくなって、マジで頑張らんとほんとにこの街は消滅してなくなる、絶対に無くさん!という地方的生きるか死ぬかの火事場の馬鹿力スタイル
例えば都会であれば、火事場の馬鹿力が発揮される背景には競争があります。自身の事業やアイデアが、他人に負けないように必死で守り、競って勝っていかなければならない。
ヤバいヤバい、後発もどんどん出てくる!先駆者との差別化をはかれ!ウワー負けてたまるかァ〜!
…って瞬間に「ボッ!」って、「出たァ〜ッ、伝家の宝刀『火事場の馬鹿力』ァ〜ッ!」って感じで発揮されるワケですね。
だから都会では、極端な話 わたしが負けたら誰かがやるんです。あるいは他のアイデアにとって代わるんです。
そこいくと、田舎の場合はまず「わたししかいない」であったり、「なくなったら終わり」という状況があるあるです。頑張らないと自分も周りも、まちも生き残れない、という場面で繋いでいかなければならない。
ヤバいヤバい、人が流出してどんどん過疎っていく!行事も生活も危うすぎる!ウワー死んでたまるかァ〜!
…ハイ〜ここで「ボッ!」でしょ。
ここを理解すると、田舎での戦略も考えやすくなりそうですね。
例えば、みんなで生き残りたいのに、田舎でライバル蹴落とすことばっかり考えてどうする!みたいな。
さぁ、勝負が始まりそうです。わたしも火事場に立たされて乗り越えることになりそうですね!ヒェーッ、オラ ワクワクすっぞ!
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