なんで仲間と語り合うのは楽しいの?ふたつのキーワードで説明します
押忍ヒカル応援団長シンです押忍!
今回のふるファントークは久しぶりの対面トークとなりました。
対面といっても、わたしのクルマで わたしが運転、ヒカルが助手席なんで、隣り同士 かな。
実家に帰るヒカルと、大学院の授業を終えて帰宅するシンが下関駅でちょうどピッタリな時間にランデブーするという奇跡からの神展開だったわけです。ヨーシ んじゃ一緒に帰って、飲もう!と。
本当は、ヒカルはこの週末、東京で流行している飲食店などからビジネスのヒントを見出す視察をしつつ、合間にかつての同僚に会ってギラギラエネルギーを充電しつつ…という弾丸ツアーをやってのけ、その帰りに関西・広島をちょいと行き過ぎて、ちょうどウチの自治会で行われたグラウンドゴルフの打ち上げに顔を出して、さらにエネルギーを過充電してしまおうとしていたのですが、残念ながら打ち上げには間に合わないタイミングになってしまいました。
しかし久しぶりにヒカルを乗っけて車を走らせ、同じ空間で話をしてみると、これは非常に盛り上がります。
ヒカルは東京で久しぶりに再会した同僚、それも同じ寮で暮らした仲間と飲んでたそうで、いろいろな昔話に花が咲いたようです。
中にはヒカルの働きかけで、年に1度寮に女性が足を踏み入れることができる「寮祭」を年2回に拡大したことに非常に感謝してくれている仲間がいて、よくよく聞いてみたら、その寮祭で知り合った女性と結婚したのだとかで、ヒカルも大興奮!
改めて、ヒカルは自分が、人が楽しめる「場」をつくることが好きだったんだな…ということを再確認したようです。
それからヒカルは、かつての仲間とワイワイ話すのはなんでこんなに楽しいんだろう、ということを考えました。
実際これは、ヒカルの仲間の口から発せられたふたつの言葉がキーワードとなります。
それは、「共通言語」と「伝統芸能」です。
これからひとつずつ説明しますが、読者の皆さんも何かご自身の同窓会とか、一番よくつるんでいた昔の仲間とかを思い浮かべながらそれぞれのキーワードをイメージしてみてください。
まず「共通言語」
これは「同じ経験」を指します。同じ学校行事に参加して、同じエピソードを共有しているとか、同じプロジェクトに参加して、同じ悔しい思いをしたとか。ヒカルやわたしの場合は「寮生」という括りの仲間がいて、それはまさに「一つ屋根の下」で生活していたり、「同じ釜の飯」を喰ったりしているわけなんですね。
そうすると、「イヤ〜、今も辛いけど、新人研修の飛び込み営業10本よりマシだわ…」って言うと、仲間がみんな「それな〜!」って、おんなじ感情を、つらさのレベルまで共有できるんです。
ガッツリ体育会系の部活や寮生だと、なおさらそういう「感覚」とかルール、モラルまで共有されていて、外部から見ると信じられないような一体感が醸し出されるものです。「近寄りがたい禁断の愛」のような…。
さらに「伝統芸能」
これは一言で表現すると「すべらない話」です。ありませんか?気心の知れた仲間と語ってて、話の流れでみんなが一斉に「○○って言ったらあれだよな!」って口を揃えること。
例えば、ある特定の話題になったら、みんながニヤニヤし始めて、「アッ、おまえあの話知らないよな? 森脇アレ!あの話コイツにしてやれよ‼︎」なんて展開、ありませんか? 「失敗談」って聞いたらもうヒカルのアレを聴きたい!みたいな。オチにはお決まりの効果音をお決まりのテンションで「ソォ〜ン!!」ってカマして、みんながお決まりのツッコミを入れて大爆笑する、っていう、いい意味での偉大なるマンネリ。
グランピングにおける「共通言語」と「伝統芸能」
この「共通言語」と「伝統芸能」からくる、なんとも言えない一体感や安心感のような感覚って、もしかしてみんなが求めているんじゃないの?
ってヒカルは気づきました。
「うちの施設きたら利用者さんにだけ分かる『共通言語』と『伝統芸能』があるよ」っていうコンセプトはきっとヒカルの事業展開において、太い柱になる。
これを施設利用の大きなシステムの中に組み込むのか、小さなイベントや仕掛けで表現するのか…まだ今後の構想になる部分ではありますが、今ヒカルがポッと思い浮かべるイメージとしては、最近「おでん横丁」のような、「○○横丁」系の居酒屋スタイルが若者を中心に流行っているように、場の中心にドンと目玉があり、それを囲んでお客さん同士が交流できるというものです。
想像力の豊かなヒカルファンの方はすでにピンときているかもしれません。
グランピング施設で、真ん中にドンとあって、みんなで囲めそうなものと言えば…?
そうです、焚き火です!
夜、みんなが焚き火を囲めるような環境を整えておくことで、交流を望むグループは自然と焚き火のそばに集まってくるのではないか。
自然には集まらなくっても、小さなきっかけ、例えばヒカルが突然ギターをかき鳴らして一曲歌い出す、とか、そういうきっかけがあれば、何かが起こるのではないか。
そしてそこで「共通言語」と「伝統芸能」が生まれるのではないか。
これはかなりワクワクする展開になりそうですね。
それぞれのストレス
ヒカルはさらに、銀行マン時代の同僚と酒を酌み交わし、語り合う中で、みんなそれぞれにストレスを抱えて毎日を一生懸命に戦い抜いていることに気づきました。社会に生きる人間である以上、みんな何かしらのストレスを抱えていて、そのストレスの種類もそれぞれだと。
ヒカルだってそう。わたしだってそうです。
でも、組織の中で働く摩擦から生じるストレスと、組織のトップとして、組織全員が生きるか死ぬかの責任を背負っているストレスは違う。自力で解決できる可能性も違うし、ガマンしてやり過ごしてなんとかなる可能性も違うし、誰かが解決してくれる可能性も違う。
組織の中で働いているヒカルの同僚やわたしは、自分の力ではどうすることもできないストレスや、上下左右で板挟みになってすり減るような摩擦に悩み続けています。
ヒカルのグランピング施設がそんな人たちのストレスを解消させる場所になると素敵ですね。
仲間や家族と集まって、共通言語と伝統芸能に浸って、明日からまた頑張ろう!という気持ちになれる場所。
そして起業以来ヒカルは、自分でしか解決できない、解決するしかないストレスと常に向き合い続けています。
そんな中でたまに弱気がチラリと頭をよぎるとヒカルは、果たして自分の事業はこれでいいのだろうか、新規事業に取り組んだりした方が良いのだろうか…と思考が迷走してしまいがちなのだそうです。
ヒカルはこのことを、お世話になっている創業手帳の大久保社長とのランチで相談してみたところ、
既存の強いところを伸ばしつつ、細かい部分の改善をしていく作業が大切
というアドバイスをもらったそうです。グランピングで成功しているなら、それをよりブラッシュアップしていくんだけれど、その中で「水漏れをふさぐ」ような細かい改善作業もしていくイメージですね。
また、事業の構想をボウリングに喩えて「センターピンを探す」ことが大事、と表現していました。
ストライクを取るためには、センターピンに的確な角度と速度でボールをぶつけることが大切ですね。
事業のさまざまな要素のなかで、「コレがセンターピンじゃ!」というポイントをスコーン!と倒すことで、ほかのピン(=要素)もバタバタバタ~ッと倒してストライクが取れる!と。そういうことですね。
しかし「ビジネスを成功させる」喩えで「ボウリング」っていうね、「倒れる」っていう、ビジネス的にはネガティブなゲンを担ぎそうな喩えをすんなり放り込む柔軟性、大久保社長もヒカルもさすがです。
このアドバイスを通して、ヒカルは改めて、現状の事業の中でやれることをやり切っているのか自問自答し、ヒカルにとっての「センターピン」を見極める作業の重要性を認識しました。
「センターピン」というと一言ですが、様々な要素を含む事業の中で「ココだ!」っていうポイントを見つけるのはそれこそボウリングのように困難です。
もうひとつ、ヒカルの気持ちに刺さったキーワードとして
「感情のシェアに巻き込まれるな」
というものがあります。シェア=占有率ですね。
なにかネガティブなことが起きたとき、その瞬間は感情をネガティブな気持ちが占めてしまいます。
果たしてこれは、実態のシェアと等しいのか。
例えば40%マズいことが起きてしまった時、感情のシェアは40%のネガティブな気持ちになっているかというと、結構そうではない気がしませんか?
大変だ…!という焦りとパニックで、感情の80%くらいを、黒い渦のようなモヤモヤが占めている、なんてことはありがちです。
これは、人間の心理的なメカニズムがそうであれば仕方のないことで、ここをモヤモヤしないようにしよう、という話ではありません。
ネガティブなことが起きて、なにか具体的に対策を講じなければならないというタイミングでは、この感情のシェアに巻き込まれるのではなく、一旦冷静に、実態のシェアを把握して、実態に適した対応をすることが大切です。
定点観測的にヒカルの健康診断を行うことは大事
車内でいろいろと話すうちにも、さまざまなビジネスのアイデアが飛び出します。
例えばグランピング施設の地元の生産者さんにも喜ばれるようなプロジェクトや、下関の失われたグルメを復活させるようなアイデアなど、本来ヒカルが取り組みたかった「地方創生」にガッツリ絡んだ内容がてんこ盛りです。
思い返せば、起業した頃のヒカルは地方創生が自身の、自社の使命だということにとらわれるあまり、半ばボランティアのような関わり方をして自身の首を絞めてしまっていたものでした。
それからもヒカルは様々なプロジェクトや事業を積み重ね、壮大な「かくかくしかじか」の末、ついにグランピングという事業の核にたどり着きました。
「かくかくしかじか」の部分がきっと重要なのですが、これは長くなりすぎるし一回で書ききれるテーマではないので今回は割愛します。
エッセンスはこのコラムの過去記事にもふんだんに盛り込まれていますので興味のある方はどうぞ第1回から読み直していただけると幸いです。
いや、それでわたしが言いたいのは、グランピングという事業の核を追求し、会社の規模を大きくした結果、ようやく地元での「地方創生」をビジネスとして語れるようになった、ということです。
「地元の祭りを手伝いに帰ってくるたびに赤字がかさむ…」と嘆いていたヒカルはもういません。
「シンちゃん、ボランティアでまちづくりやっても続かんよ。しっかり稼いで、地域にもカネ落とさんと…」
力強いヒカルの言葉。ビジネスのアイデアがカタチになって、地元下関で受け入れられ、みんなが喜ぶ未来が待ち遠しいです。きっとそう遠くないはず!
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